2022年12月16日

2022年12月16日(金)

全国の那須ブラーゼンを熱心に応援してくださる皆様、そしてなにより、那須地域の皆様に大きな衝撃を与えてしまう発表がチームからありました。

 

来年から那須ブラーゼンは、さいたまディレーブと合体し、さいたま那須サンブレイブとしてレース活動を行っていきます。

 

僕自身も移籍する立場なので、皆様が知っている情報と同じ事しか分かりませんので、来年以降の話しは、今後のチームの発信を見ていただければと思います。

 

若杉代表や樋口君が、記者会見やsnsで発信した通りですが、コロナによる活動資金の減少は、ちょうど自分が加入した2020年から始まり、自分が所属した3年間は、チームを存続させることで精一杯の状態だと、選手としても感じていました。

 

実際、今年のシーズンが始まる頃は、秋吉台ツールドおきなわには、出場できない可能性が高いと言われていました。

 

しかし、クラウドファンディングや、フードリエ様がメインスポンサー様になってくださった事、このような皆様からの支援や、チーム全員の努力があったおかげで、最後のツールドおきなわまでの、全てのレースに出場し、ツールドおきなわでは、西尾勇人選手が4位に入るなど、好成績を収める事ができました。

 

 

この3年間を振り返った時に、僕が一番に感じることは、このコロナ渦の3年間、チームを存続させる為に、必死でチームを守ってくださったスタッフの方々への感謝でした。

 

また、若杉さんとの出会いは、自分の競技人生だけでなく、自分の人生そのものにも、凄く良い影響を与えてくださいました。

 

2020年は、コロナによる影響があった中でも、選手の給料を守るために、懸命に動いてくださり、

2021年シーズン途中にも、僕のキャリアを考えて、体制が整ったチームへの移籍も勧めてくださったりなど、いつでも選手の事を一番に考えてくださる事に、尊敬する気持ちと共に、まだ何も若杉さんに恩返しが出来ていない自分が悔しくて、2022年の10周年の一年間は、どんな状況下でも、那須ブラーゼンで走ろうと決めて、今年がスタートしました。

 

それは、自分自身のため、那須地域のため、チームのため、そして若杉さんの為に走りたいという思いが強かったので、迷いはなかったです。

 

そんな今年は、本当に多くの支えの中で走らせてもらいました。

 

冒頭でも書いたように、多くの支えがなければ、最後まで走りきることは叶わなかったと思います。

 

しかし、チームとしては、常に順風満帆な訳ではなく、選手もスタッフも、皆何かしらの不安を抱えながら活動していました。

 

 

チーム在籍3年目、そしてキャプテンとしての自分に出来る事は、

 

谷がいれば何とかなる。

 

そう思える存在になることでした。

 

僕自身も、レースでも、普段の地域の活動でも、最後は僕に任せろ、僕が何とかする。

 

そういう気持ちでいたので、何事にも動じずにいましたが、TOJの初日に落車し、TOJと熊野をフルに欠場。

 

復帰にも時間がかかり、続く、全日本とJCL広島もまったく走れず、そしてチームとしては纏まりきらず、成績も上がらず、選手もスタッフも皆がバラバラの方向を見ている状態でした。

 

 

そんな状態を打破したのが若杉さんでした。

 

皆をまとめ、もう一度上を目指そうと声をかけ、続くJCLオートポリスは、チームとして団結して、かなり良い走りをして、2日間とも優勝争いをすることができました。

 

 

そして、ツールド北海道では、チームとして戦えて、第2ステージの終盤。

 

憲人くんが懸命にサポートしてくれて、自分の中には、不安も焦りもなく、最後は僕がやるだけだと、凄く冷静な自分がいて、ブラーゼン加入3年目にして、やっと優勝することができました。

 

あまりに冷静でいたので、2019年に初めて優勝した時のような興奮はなく、早く憲人くんを迎えにいかないと、という気持ちでした。

 

 

その後のレースは、皆さんご存じの通り、憲人くんがジャパンカップで大活躍し、西尾さんがツールドおきなわで4位と那須塩原クリテウムで5位と、自分以外の選手が大活躍しました。

 

自分はと言うと、塩谷で転んで、肉離れにより、それがブラーゼン最後のレースとなりました。

 

 

結局のところ、最後の最後まで、自分がチームや仲間から良い影響を受けるばっかりで、自分がどれだけこのチーム、この地域、そして若杉さんに恩返しが出来たかは分かりません。

 

でも、選手の仲間たちから、一緒におきなわを走りたかったとか、サポーター様からおきなわ走って欲しかったという声を貰えたことが、凄く嬉しかったですし、若杉さんから、一緒にやれたこの3年間が凄く楽しかったと言ってもらえたことが、自分の那須ブラーゼンでの財産だと思います。

 

 

改めて言います。

この3年間、チームを存続させる為に、必死でチームを守ってくださったスタッフの方々、本当にありがとうございました。

 

そして、那須ブラーゼンのチームメイトとして、一緒に苦楽を共にし、たくさんの学びをくれた選手の皆、ありがとう。

 

いつも支えてくださったたくさんのスポンサー様やサプライヤー様、そしてクラウドファンディングで支援してくださった皆様や、常にチームを応援してくださったサポーターの皆様ありがとうございました。

 

 

レース現場では、那須ブラーゼンというチーム名ではないかもしれないけど、この10年間の礎は受け継がれていくと思います。

 

その礎のほんの一部分に自分が加われたとしたならば、僕は幸せです。

 

 

そして若杉さん、本当にいろんな事を学ばせてもらいました。

何より、若杉さんのチームで走れて良かった。

将来何かしらの恩返しができるように、来年からも、選手としてもっともっと成長していきます。

 

3年間ありがとうございました。